「ただいまー」
午後6時、浩之帰宅。いつもどおりである。
「マルチ?」
マルチの出迎えがない。これはいつもと違う。
「マル……、なんじゃこりゃ!?」
リビングに入った浩之は、まずそのありさまに驚いた。
散乱していたのだ。
だが別に、泥棒に入られたわけじゃないらしい。
なぜなら……。
「ちっこいものしか散らばってないんだよなぁ……、リモコンだのコードレス電話だの、コドモでも片手で楽に放り投げられるような」
で、マルチが見当たらない。
「……部屋か?」
そんなことを呟きつつ2階に上がり、突き当たりにあるマルチの部屋の前で、ふと足を止めた。
ドアに掛けてあるプレートには、ひらがなででっかく「ま」と書いてある。
「こーゆうセンスが、どうも理解できんのだが……」
部屋の中からは、特に物音は聞こえない。そして、明かりがついている様子もない。
「マルチ? いるんだろ? どーした、幼稚園でいじめられたのか?」
返事がない、ただのしかばね……いや、そーゆーことではなく。
「マルチ?」
「…………でち」
「……は?」
「ぱぱなんてだいっきらいでち」
「まったく……、涙と鼻水で顔中ぐっちゃぐちゃにして駆け込んで来たから何事かと思えば、そんなことか」
タバコに火をつけ、ぷはっと一息ついてから、長瀬開発主任が呟いた。
「そんなことって…、いくら悪ガキになったとはいえ、あのマルチがオレを嫌いだなんて、もうなにがなにやらわからないんですから」
ちーんと鼻をかむ浩之。
「………」
タバコをふかしながら、ちょっと考え込む長瀬。
ややあって――
「最近、なにか変わったことは?」
マルチの回路図を見ながら、浩之に聞いてくる。
「……は?」
「環境の変化とか、なにかこう…新しいことを始めたとか」
「新しいこと……? 幼稚園に通い始めたぐらいですけど……」
「幼稚園?」
「ええ、オレが仕事に行ってる間、ほったらかしにするのもなんなんで、それよりは、その道のプロにしつけてもらったり、同年代の子供たちと一緒にいるほうがいいんじゃないかって思って……。志保――友達と相談して決めたんですけど」
「それかな」
「え?」
「見てごらん」
びらっと、マルチの回路図を浩之に見せる。
「見てわかる通り、いきなり主人を嫌いになるとか、そんな物騒な装置とか回路とかはマルチには搭載していない」
「いや、こんなん見せられても、オレにはなんのことかさっぱり」
……………………。
………………………。
うららかな…とは言い難い、6月の湿った風が、二人の頬をなでる。
「ま、まあとにかく」
2本目のタバコに火をつけ、長瀬が言う。
「幼稚園でなにか気に入らないことがあって、で、なんでパパはそんなとこにわたしを入れたんだろう、って、なんていうか、不信感みたいなものが出てきてるんじゃないかな?」
「不信感……」
「まあなんにせよ、よく話し合ってみることだね」
「話し合う……か…、あれ?」
「あ、浩之さん」
家の前まで戻ってきた浩之が見つけたのは、門の前でなにか躊躇しているような、1人の女性であった。
薄紫の、きれいなロングへアの女性。
不覚にも、浩之はちょっとどきっとときめいてしまった。
知っている娘だというのに。
「ひさしぶりだな、琴音ちゃん。元気にしてるか?」
「はい、おかげさまで。それで…、今日は、その…」
「……ん?」
「マルチちゃんに会いに来たんですけど……」
「マルチに? って、ここじゃなんだから、まあ上がれよ」
「あ、じゃあ、お邪魔します」
「で、なんでマルチに会いに?」
相変わらず、マルチは部屋にこもりっきりのようなので、自分でコーヒーをいれつつ、浩之が訊く。
ソファーに向かい合って腰掛け、琴音にコーヒーを渡す。
「あ、どうも」
そう言ってコーヒーを一口飲み、そして一拍おいてから浩之のほうを見る。
「浩之さんはご存知ないんですよね……」
「なにが?」
「……実はわたし、マルチちゃんのクラスの担任なんです」
ぶば。
そんな短い音とともに、浩之はコーヒーを吹き出した。
「浩之さん?」
咳き込む浩之の背中をさすりながら、琴音が心配そうに覗き込む。
「なんか俺、世の中の狭さって奴に疑問を感じ始めたぞ」
「狭さ……、ですか?」
「まあそんあことはどうでもいいんだが」
きょとんとした顔の琴音にそう言って、浩之はふと天井を仰ぎ見る。
「マルチの奴、夕方から部屋にこもりっきりなんだ」
「…………」
琴音はなにも言わなかったが、浩之は言葉を続ける。
その無言が、続きを促しているように感じられたからだ。
「でな、ぱぱなんてだいきっらい、なんて言いやがるもんだから、俺もうどうしていいやら……、あ、ぱぱって俺のことな、一応」
「…………そうですか、マルチちゃん、そんなに……」
「で、琴音ちゃんが様子を見に来たってことは、やっぱり幼稚園でなんかあったのか?」
「あの……」
「ん?」
なにか、言いづらそうな感じで口ごもる琴音。
「お歌、うたってたんです、みんなで」
「おうた?」
「はい、どんぐりころころ、知ってます?」
「ああ、まあ」
「そしたらマルチちゃん、いきなり、「やってられるかー!」って、テーブルひっくり返して飛び出して行っちゃったんです」
「…………はあ?」
「それで、私びっくりして、園長先生に相談したんです。で、園長先生がおっしゃるには、何年かに一人くらい、そういう子がいるそうなんです。心の発育が早い子が」
「早いもなにも、あいつはもともと大人だしなぁ、って、つまりあれか、あいつは、そんな幼稚なことやってられるかってキレたわけか?」
「たぶん、そうなんじゃないかと……」
「……あのバカ」
額に手を当てて呻く浩之。
「バカでわるかったでしね」
「マルチちゃん?」
「マルチ?」
いつのまにか、リビングの入り口近くにマルチが立っていた。
幼稚園から帰ってきたときのままなのか、園児服を着たままだ。
「マルチ、お前……」
「はなしかけないでくだしゃい、だいっきらいだっていったはずでち」
「マルチ!」
「うるさいでち」
がたっ。
何か物音がしたのを感じて浩之が振り向くと、琴音が立ちあがっていた。
「琴音…ちゃん?」
琴音はマルチをキッと見据え――
「お父さんになんてこと言うの!」
一喝した。
「ごめんなさい」
………………。
…………………。
「……は?」
琴音の物凄い剣幕に、思わず浩之が謝ってしまった。
「いや、なんちゅーかその、怒り方が、小学生のころ俺をよく叱ってた担任の先生にそっくりだったもんだから、つい……」
「ご、ごめんなさい……」
「別に琴音があやまることじゃないだろ。それに、今のマルチの言葉には、おれが怒らなくちゃいけないんだし」
「浩之さん……」
「あ、そうだマルチ……」
そのマルチは……。
「マルチ?」
硬直していた。
ただ、顔は、泣く寸前だったが。
「マルチちゃん?」
「あたちは……」
目に涙をいっぱいためながら、マルチがか細い声で話し始めた。
「あたちは、ぱぱのおくさんだったんでち。いっぱい、いっぱいあいされて、すっごいしあわせだったんでち。なのに……、ひっく…、ちっちゃくなってから、おこらりてばっかりで、しからりてばっかりで、あげくのはてによーちえんにもいれらりて、ぱぱは…、ぱぱはきっと…、あたちをまるちじゃなくて、ただのがきんちょとしてしかみてないんでし」
そこまでいったから、マルチはわんわんと泣き出してしまった。
「マルチ……」
泣きじゃくっているマルチを、浩之はそっと抱き上げた。
「……うそでち…」
「ん?」
「だいっきらいだなんてうそっぱちでち。ほんとは……、だいすきでだいすきでしょーがないんでち。だから、まるちを…、ただのこどもじゃなくて、まるちをみてくだちゃい……」
「マルチ」
そう言って、浩之はマルチをぎゅっと抱きしめた。
「マルチ、俺はな、今の俺やお前があるのは、あかりたちのおかげだと思ってる。たとえなにがあろうと、俺たちを信じてくれる同年代の友達ってのは、かけがえのない存在だと思うんだ、だからお前にも、幼稚園に入ることでそういう友達ができたらって思ったんだ」
「それにね」
と、琴音が続ける。
「浩之さんは、マルチちゃんのことが大好きなのよ。でも、浩之さんもいきなりお父さんになっちゃったでしょ? だからどうしていいかわからないんだと思うの。でも、大好きで、大事に思ってるからこそ、いい子に育って欲しくて、それで怒っちゃったりするのよ、わかるよね?」
言いながら、マルチの頭をやさしくなでる。
「琴音しゃんしぇい……」
「琴音……」
「ぱぱしゃん、かおがまっかでし……」
「あのなマルチ」
「あい?」
「俺は良かれと思ってしたことだけど、お前がそんなに幼稚園がいやなら、無理に行けとは言わない。四六時中一緒にいたいんなら、俺も在宅勤務の仕事を探す。だから……」
「ぱぱしゃん……」
「だから、もう嘘でも嫌いだなんて言わないでくれ……」
そう言ってマルチを見つめる浩之の目には、うっすらと涙がにじんでいた。
「ぱぱしゃん……、あたちは…」
ぴんぽーん。
「まーあーちゃーん!」
「んあ?」
インターホンとばかでっかい声に言葉を遮られたマルチが、なんかそんなような間抜けな声を出してしまった。
「誰だ?」
マルチを抱っこしたまま玄関へと出て行く浩之。
「はーい」
と、ドアを開けると、そこにいたのは、園児服を着た3人の女の子。
3人とも身長はマルチとほとんど同じだ。
「まーちゃんいますかー?」
「まーちゃん?」
「あー、まーちゃん!」
「いったいどーしたんでちか?」
浩之はもちろん、マルチも事態がよく飲みこめていない。
「あら? 諒子(りょうこ)ちゃんにさやかちゃんに深菜(みな)ちゃんじゃない、どうしたの?」
「あ、ことねせんせーだー」
「ほんとだぁ」
「みんな、かんがえることはいっしょなんだね」
口々に言う三人。
「なんなんだ、この気の抜けた喋りかたをする連中は……」
「あ、まーちゃんのぱぱさんですかー?」
「ん? 俺か? まーちゃんってマルチのことだよな? まあ、そうだけど……」
それを聞いて、3人のうちのひとり、真中のロングヘアの子がぺこっとお辞儀した。
「はじめましてー、まーちゃんのともだちの、りょーこっていいます」
「ともだち?」
「はーい。で、こっちがさやかちゃんでー」
と、三つ編みの子を指す。
「こっちがみなちゃんでーす」
ショートカットの子がお辞儀する。
「……で?」
「いや、まーちゃんにそういわれちゃうと、どーしていいかわかんなくなるんだけど……」
やや乾いた笑いを浮かべながら、諒子。
「諒子ちゃんたち、マルチちゃんが心配で見に来てくれたの?」
と、琴音が訊くと――
「てゆーかー、まーちゃんにあどばいすー」
「アドバイス?」
「うん」
「あのねー、まーちゃん、さっき、おうたとかおゆーぎとか、そんなのやってられっか、っていってぶちぎれたんだよね、ね?」
さやかがマルチに問い掛ける。
「ま、まあ、そうでちが」
「まーちゃん、おばかさぁん」
「なぬ?」
深菜の言葉に、ぴくっと反応するマルチ。
「(こいつ、バカって言われるの大嫌いなんだよな……)」
そんなことを浩之はふと考えていた。
「だってさー」
諒子が続ける。
「ちょっとがまんして、むじゃきなふりしておゆーぎとかしてれば、ばかなおとなが、かわいいねーとかいいこですねーとかいってほめてくれるし、あわよくばおこづかいとかもらえちゃってりするし、こどもってすっごいぼろいしょーばいなんだよー」
「…………………へみ?」
マルチが、頭の上に『?』をいっぱい浮かべている。
浩之と琴音も同様だ。
「だから、まーちゃん、ぶちぎれて、なにかいいことあった?」
「いいことでちか? えーと……」
「あった?」
「さしあたってなにもないでち」
「でしょでしょ?」
「つまりあれでちか? よいこちゃんなふりをしてやってれば、めぐりめぐってあたちたちがとくをすると?」
「そーゆーことー」
「マルチ?」
浩之は、心なしか、さっきまで泣きじゃくっていたマルチの顔が、少しづつ明るくなっているような気がした。
「つまりは、しゅどーけんはあたちたちこどもがにぎっているってことでちか!」
「うーん、なんかひやくしすぎてるきもするけど、だいたいそんなかんじかな?」
腕組みしてちょっと考えてから、さやかが答えた。
「なるほど……、………ふっふっふ」
「お…おい、マルチ?」
いきなりの不気味な笑い声にびっくりして、浩之はマルチの顔を覗きこんだ。
「……あ」
そして浩之が見たのは……。
「(いつものマルチの顔だ)」
そんなことを思っていると、不意に、マルチが浩之の腕の中から抜け出し、ぴこっと床に飛び降りた。
「そーときまればはなしははやいでち! もーしばらくむじゃきなこどもをえんじてやるでちから、そのだいいっぽとして、すみやかにあそびにいくのでちー!」
「おー!」
3人がマルチの雄叫び(?)に呼応し、表へと飛び出していく。
「さやか」
「ん? なーにー?」
浩之が、最後に出て行こうとしたさやかを呼び止めた。
「…………さんきゅな」
浩之がそう言うと、さやかは何も言わずにばちっとウインクだけして、マルチたちを追いかけていった。
「はは……マセガキめ」
「浩之さん?」
「マルチの奴、うまく丸め込まれやがった」
「はい?」
どうやら、もうしばらく、お子様マルチの暴走は続きそうである。
「よかったなマルチ、同年代の友達、出来たじゃねぇか。それも、すっごく友達思いの、やさしい子達がな」
あとがき
あとがきでーす。
「やくさんかげつぶりでち」
……ごめんなさぁい(謝)。
「あやまりゃいいってもんじゃないでち、まったくもう」
いやぁ、かなり苦しみました。進まなくて。
ストーリーも二転三転してるし。
「そうなんでちか?」
うむ。
で、つくづく思ったのが……
「おもったのが?」
俺って、シリアスな話は書けないんだ、と。
「はぁ?」
話がシリアスになったところでオリジナルの三人娘を出したら、あっというまにいつもの感じになっちゃった。
「まるちのおともだちでち」
会話になってねぇよ(笑)。
ま、なんにせよ、この回でマルチが、自分は子供でいいんだみたいな、なんかみんなでまわりを取り囲んで『おめでとー』とか言って拍手しちゃうような感じになったんで、次回からはまたいつものちびマルチです。
「あたちはしんじくんでちか……」
では、次回『国電パンチとネコパンチ』でファイナルフュージョン承認!
「なんかこのさくしゃ、またこういうのりでさみーのしょうせつをかきたくなってるみたいでし」
これとかオーフェンとかじゃ、あんまりパロディネタ使えないからね……。